大震災の支援活動と・・ [東日本大震災]
大震災から8ヶ月以上経ったけど・・
瓦礫が少しずつ減ったくらいで生活の支障は
変わらない・・ 仮設住宅は、かなり冷え込んでいる。
私達にできることは?
少しずつでも物資を送ることを極力行動に移している。
支援活動を始め、募った物資をメッセージカード入れ
今日も南三陸・石巻・岩手方面に送った。
次回は団体で募った募金で【湯たんぽ】を購入し
何箇所かに分けて配送する予定。
でも、100個の湯たんぽではまだまだ不足!
どうしたものか・・ 胸が苦しくなる。。
そんなある日、悲惨な光景を見つけてしまった。
横浜市金沢区八景島付近でも震災の影響で、
手付かずになっているところがあった。
この一角だけ、地盤沈下だったり地面が盛り上がっていたり・・
駐車場は地に浮いている状態。芝生の段差が無残。
ココを歩くと地面がゆがんでいるのでまっすぐ歩けない状態。
この一角のすぐ裏に友達が住んでいる。
そこは、無事だったようだけど、埋立地の悲惨な現象。
東日本。あらゆるところに被害を生じている。
胸が痛い・・・
被災地・宮城県女川町へ・・ [東日本大震災]
4月2日(土)
職場で救援物資・募金活動を継続しています。
有志で運送会社の人が4トンのトラックで物資を運んでくれる。と言うので
2日と9日の2日。取り急ぎ、宮城県へ車を走らせることになりました。
2日だけの活動で4トントラックが満載!
みなさんが1個より持ち寄ってくれた物資を心こめて運びます。
トラックとワゴン車の2台 執行人員 5名で 宮城県女川町へ
深夜零時、出発しました。まだ、道路も舗装されていなくて、
高速道路もかなりのでこぼこ道になってる。と聞かされていましたが
行きは、ひび割れはあったにも関わらず、思いのほか大丈夫でした。
行きのサービスエリアは物資配達のトラックがいっぱい。
出発時間が早かったので、渋滞もなく、日の出を迎えるころには
石巻辺りまで到着していました。
途中、自衛隊基地もあり私達も緊迫感でいっぱいです・・
田んぼも、被害があったと、ひと目でわかるほど・・
津波があった地域・道路を隔てまったく津波が来ていない地域の
差が激しすぎます。。。
石巻市内は・・ 絶句です。。
一瞬のうちにさらわれてしまった家々・車両・信号機や電柱も破壊されています・・
1番の目的地、女川町。。
何が起こってしまったの・・見るに耐えない光景でした・・
女川漁港から少し高台にある女川運動公園までの道のりには
漁船や電車があり、津波の威力に恐怖を感じます。
ようやく避難所に到着。 救援物資を降ろします。
しかし、2日前にかなり大量の物資が収められたようで
4トンすべて降ろせませんでした。
石巻に小さい避難所があり、町内の住民が物資を取りに来ている
場所に、物資を降ろすこともできました。
ここは米軍がいっぱい。瓦礫を撤去していました。
ここは、住民が体育館にある物資を各自で選んで持ち帰るよう
この町内会会長さんが、「各自、不足しているものやほしい物が様々
だろうから、自由に持ち帰れるように」という気配りがある避難所でした。
小学校の校舎には230名 受け入れられ、寒さのなか生活していました。
体育館の中にいっぱい物資を降ろせました。
館内いっぱいにダンボールがあり、いろんな物資があったようです。
小学校の裏手や路地は、まだまだ瓦礫がいっぱいです。
4トンすべての物資を降ろし、帰路へ・・
帰りの高速道路は、かなりでこぼこでしたが、渋滞なくスムーズに
帰れました。 17時間。 往復1000kmの 長距離日帰り。
私達が今現在実行している運動は、ひとりひとりが持ち寄ることで
大きな力になる。そして、みんなの気持ちを被災地に届ける。
「今、できることを・・」 少しずつでもやり続けたい。
このような、悲劇的な写真をUPすることで状況を把握していただき
また、多くの心をひとつにし、現地に伝えられることができればと思います。
一日も早く復興できること。そして、みんなの笑顔が戻ることを
心より願っています。